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ユバ劇場
所在地
ありあんさ通信

1935年。 同じこころざしを抱く仲間達ともに、「耕し、祈り、芸術する」共同体として建設された弓場農場。そのこころざしを受け継ぐ、弓場農場の7つのプロフィール(顔)をご紹介します。



訪問者を迎える顔1. 訪問者を迎える顔

訪問者を大事にするのは創立以来のユバの伝統であり、奥地にあってもいつも開かれたユバである。昔から有名無名を問わず多くの人々がユバを訪ねてきた。

慶応や早稲田大学、本田技研などの野球チームが訪ねてきたし、賀川豊彦や長谷川保、大谷光暢などの宗教家、大宅壮一や北杜夫などの文学者、お茶の裏千家宗家、州政府の労働長官、連邦の文化大臣などが訪れている。また、日本全権大使もユバに逗留している。

日本や諸外国からの若い旅行者も訪ねてくる。 中には、そのままユバの仲間として住み着いてしまう者もある。

滞在者は特別扱いはしない代わりに、ユバの一員として扱われる。

ユバの仲間達



働く顔2.働く顔

果樹、野菜、稲、養豚、養鶏、牧畜、シイタケの栽培などが行なわれている。

牛乳や野菜、鶏卵など、日常の食料は自給できるように、それぞれの担当者がプランをたてて取り組む。なるべく化学肥料を使わない果樹や野菜の栽培を心がけている。 

食事のメニューは炊事当番が工夫をこらして決め、日曜日にはケーキやシュークリームなどの凝った手製のお菓子が作られる。

洗濯当番は独身男性や訪問者、長期滞在者たちの寝具などを毎朝まとめて洗い、午後小学生の女の子たちが取り込む。男の子は野菜畑の手伝いである。

ユバの生活

感謝する顔3.感謝する顔

朝6時のカフェ、12時の昼食、午後2時のランチ、夕6時15分の夕食と1日4度、準備ができると角笛が鳴る。訪問者もふくめて広い食堂で一緒に食事をし、雑談を楽しむ。

日本人は食事をするとき、「いただきます」と言う習慣があるが、ユバでは全員一緒に黙祷をしてから食事をする。

所用で訪ねてくる村人や訪問者にはそれぞれの宗教や習慣があるから、それぞれが心のなかで感謝のことばをささげればよいということである。

ユバの食卓には様々な自慢のメニューのほか、とれたての生野菜、卵、牛乳は必ず並び、みんなほしいだけ皿に取って食べる。

毎日のカフェやバターやチーズ、ジャム、みそ、醤油、豆腐や納豆なども自家製である。

ユバの生活

4.芸術する顔 
夕食の後は文化活動の時間である。

月、水、金曜はバレエの練習。子どもたちのバレエは水、金曜の夕方。

火、木曜は合唱の日だが、クリスマスが近くなると演劇の稽古がはじまる。美術教室もユバの伝統で、毎週テーマを決めて制作にはげみ、その新しい作品がユバの食堂の壁を飾っている。

また、陶芸をする者もあり、原始林の中にある大きな登り釜では食器や花器なども焼かれている。

近年はバイオリンやビオラ、チェロなどの教室も行っている。



ユバの文化活動

学ぶ顔5. 学ぶ顔

ユバには色々な専門家が訪ねてくる。

演劇の話を聞くこともあれば薬草の講義が行なわれることもある。シイタケ栽培の研究、無農薬栽培、炭焼きによる木酢の研究も行なわれている。

ユバの図書館には一万冊の蔵書があり、無料で近在の人々に貸し出しもする。

小さいながらインディオの土器、装飾品を収集したサトウ・オサム記念博物館もある。

ユバの文化活動

交流する顔6. 交流する顔

テアトロ・ユバは村人の交流の場としてアリアンサで大いに役に立っている。

巾10メートル、奥12メートルの舞台に照明、音響の設備があり、客席は500席前後だが、拡張して800人まで収容することができる。

クリスマスには村人はもちろん、サンパウロや日本からも客がやってくる。日本の唐十郎一座や、現代座、劇団1980、国内の演劇、楠野孝雄のグループや、丹下節子劇団、歌手のエリエッチ・ネグレイロさんなどもここで上演しているし、州文化庁主催のバレエや演劇コンクール予選も行っている。

ユバのコーラスも室内弦楽団カメラッタと共に音楽会を開いたり、近くに住むカイガンゲ族と踊りの交流をしたこともある。
毎年クリスマスには、日々行われている文化活動の発表会が行われる。
ユバ劇場

スポーツする顔7. スポーツの顔

弓場勇がブラジルに野球を広めた草分けでもあり、現在もユバには野球チームがあるが、陸上競技も大変盛んで全伯大会にも出場している。

テニスやピンポンもあるし、もちろんフットボールも皆大好きである。

また、趣味を兼ねて近在の河に釣りに出かける者もいる。獲物はその日のユバの食卓に並べられる。