弓場農場概略史
1906年
弓場勇、兵庫県西宮市塩瀬町名塩に生まれる。
1924年
日本力行会と信濃海外協会、アリアンサ移住地を開設する。
1926年
力行会員弓場勇は、父親為之助とともに一家十名でアリアンサへ入植。この年9月、弓場勇は、青年運動促進の一環としてアリアンサ野球チームを結成してサンパウロに遠征。翌年1927年より全伯大会で3年連続優勝をとげる。
1928年
第三アリアンサに力行会南米農業練習所(渡辺農場)が開設され、日本から青年多数移住。
1935年
弓場勇、「ブラジルの処女地に新しい文化の創造を」の理想を掲げ、数名の仲間と第一アリアンサ、フォルモーザ地区に40アルケールを購入して農場の建設にとりかかる。
1938年
大地に定着した農業、施肥農業へ転換するため本格的な養鶏を開始、奥地に養鶏を広める。
1939年
弓場勇、全伯産業組合青年連盟(産青連)に先がけてアリアンサ産業青年連盟を結成する。
1941年
第二次世界大戦はじまる。
1947年
50万羽養鶏を目標として、当時22万羽を保持し、弓場農場は当時南米一の養鶏場となる。
1948年
農場に始めてピアノを購入。合唱練習や、レコード観賞などが盛んとなり、農場内の要所にスピーカーを取り付けてディスク・ジョッキーも行っていた。
1948 農場に村人を集め、クリスマスの集いを公開するようになる。
1956年
1月、弓場農場倒産。立ち退き命令を受け、フォルモーザ地区を出る。
6月、当時農場は、200名を越える人員であったが、創設期の仲間と共に約半数が現在地に移り、農場再建にとりかかった。
1961年
小原久雄(彫刻家)、小原明子(舞踊家)夫妻が弓場農場に加入。
この年、クリスマスに向けてテアトロ・ユバを建設。子供から大人まで農場全員が協力し、約一週間で完成。以来日々の生活にバレエすることが加わった。
1965年
ユバ・バレエを鑑賞したサンパウロ州内務長官 Dr.ジュベナール・ロドリゲス・デ・モラエス はバレエ団に援助金を出すことを決定。これによってユバ・バレエ団は、プロミッソン、ビリグイ、ピラジュイなど、奥地十都市で始めての外部公演を展開。
1966年
ユバ・バレエ団は日伯毎日新聞社の招聘により移民の日を記念して、初めてのサンパウロ公演を、ガルボン・ブエノ街にあったシネ・ニテロイで行なう。
1971年
ユバ・バレエ団はメジシ大統領夫人の招聘により、首都ブラジリアで公演。
1974年
在伯日本大使 宇山厚氏、第一アリアンサ入植50周年祭、及びアリアンサ内の州道アスファルト化起工式の折りに来訪農場に逗留。歓迎バレエ公演を催す。
1976年
2月、弓場農場図書館落成。
6月、弓場農場50年祭(弓場勇渡伯より)が行なわれ、日本から西宮市議会議長八木米次氏が列席。
12月、弓場勇没 (11月に西宮市より招聘を受けて60年ぶりの帰国の後。享年70才)
1978年
4月、ユバ・バレエ団第一回日本公演。ブラジル日本移民70周年記念文化使節として訪日。東京初演以降、秋田から九州、四国まで13カ所15回の公演を行う。
1986年
パラグァイ日本移民50周年に招聘され、首都アスンシオン、州立劇場で公演。
1991年
ユバ・バレエ団第二回日本公演。日本青年団協議会40周年、日本青年館70周年記念の招聘公演。東京初演以降、群馬から鹿児島まで13カ所16回の公演を行う。
1994年
西部アマゾニア日本人会館落成を記念して、マナウス市のテアトロ・アマゾニアにて公演。
1997年
6月天皇皇后両陛下をお迎えし、イビラプエラ室内体育館に於ける歓迎式典にて公演を行う。
弓場勝重(弓場勇7女)、自作の絵本「ヤマのおはなし」をご覧になった美智子皇后より招聘を受け、大統領夫人の招待でブラジリアに於いて笠戸丸第一回移民中川トミさん等と共に皇后陛下に謁見。
文化大臣フランシスコ・ヴェフォルテ氏、ミランドポリス市の文化会館(旧鉄道駅)設立にあたり視察の為来訪来訪の折り農場において歓迎バレエ、夕食会を催す。
10月、聖市文協講堂に於て日伯毎日新聞社主催で劇「たべられたやまんば」他バレエを上演。製作に当たって、劇団「現代座」の主宰者、木村快氏の協力を得る。
1998年
弓場哲彦、サンパウロ州文化庁より文化功労賞を授与さる。
小原明子、文化功労によりミランドポリス市議会より名誉市民賞を授与さる。
1999年
「北原・輪湖記念館」落成。故アリアンサ移住地理事長、北原地価造、輪湖俊午郎両氏の旧邸を移住地文化財として保存するため、弓場農場内に移築修復。(また翌年、従来の迎賓館を増改築)
2001年
故小原久雄の彫刻「野外展示場」を「北原記念館」広場に建設。(若林和夫画伯設計による)
2003年
09月26日 代表・弓場哲彦没。(70才)
11月17日 弓場農場は、コムニダーデ・ユバ協会という名称で登記し、弓場・ルイス・常雄が会長に就任した。 翌2004年1月にNGO団体となった。
2004年
11月15日 第一アリアンサ入植80周年記念式典に、長野県知事・田中康夫氏臨席。歓迎バレエを「テアトロ・ユバ」にて行う。
2005年
06月03日 アラサトゥーバ市において、ロータリークラブ創立100周年記念式典にユバ・バレエ団招聘を受け公演を行う。
08月03日 パラグァイ国ピラポ移住地45周年記念招聘バレエ公演を移住地新会館にて挙行。
12月17日 サンパウロ文化協会創立50周年記念招聘バレエ公演を行う。
2006年
06月17日 サンパウロのバレエ団、Bale Stagium 一行来訪。テアトロ・ユバで公演と、ワークショップなど交流会を行った。
09月30日 リベロン・プレット市の創設150周年記念行事の一環として、ユバ・バレエ団は招聘を受け市立劇場にて公演を行う。
2007年
11月30日 写真家・神沢ルッシー氏による写真展「YUBA」のオープニング式典でバレエ公演を行う。
2008年
02月23日 日本の劇団・1980による「ええじゃないか」の公演を、テアトロ・ユバで行う。
05月27日 ブラジリアより、民族文化アイデンティティ局長・セルジオ・マンベルチ氏とアメリコ・コルドゥーラ氏を迎え、テアトロ・ユバで歓迎バレエ挙行。
08月01日 ブラジルにおける日伯両国友好親善への多大な貢献の功績を認め、日本の外務大臣賞を受賞。
10月07日 リオの市立劇場で行われた「第14回・マッシャード・デ・アシース記念文化功労賞」授与式において、長年の文化活動を通じての日伯両国親善に寄与したことに対し、その賞を授与される。
2009年
国内に点在する文化拠点の交流を目的とした連邦及び州政府企画のポント・デ・クルトゥーラへの申請が許可された。(SP州内より300団体選出)
2010
02月21日 ポント・デ・クルトゥーラ企画援助によりユバにおける外部講師による音楽教室、及び外部生徒への弦楽指導を開始
05月01日 写真集「ユバ」(写真・神沢ルッシー)出版。サンパウロ州立近代美術館、ピナコテッカにおいて記念会を行う。
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