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名前 今井 眞治
住所 ブラジリア連邦区 ブラジリア市
生年月日 1934年1月8日

「父の位牌」
(政治家になれなかった親子二代)

 私の親父が死んだのは76年8月で、もう21年も前のことである。ところが、私が

親父の死を知ったのは、その年の暮れであった。ブラジルに来てから18年もの年月

が過ぎていたし、余り手紙のやりとりも無かったから、晩年の親父がどのような病

気で、どういう風に死んだのか、私には全く分からなかった。

「ブラジル移住」を決めたときも、親父は別に反対もしなかった。76年の12月のあ

る日、日本の妹から手紙が届き父が8月に死んだことを知らせるとともに細長い紙

に書いた戒名が送られてきた。その頃、私の家には仏壇がなかったので、私は板を

削って手製の小さな位牌を作り、それに父の戒名を書いた紙を貼りつけて食器棚の

上に飾り仏壇とした。戒名は「修政院顕岳保道居士」という。

 日本の兄弟からの通知が遅れたのには訳がある。その年の地方選挙に私はゴイア

ニア市の市議会議員候補として立候補し8月にはすでに選挙運動が始まっていた。

ブラジルに帰化したとは言え、まだポルトガル語も満足には話せなかった頃であり

私はまだ大学の法学部に籍を置く晩学の学生であった。それに軍事政権時代のこと

で、選挙運動そのものが規制されていて、テレビで政見発表することは禁じられて

いた。だから、もっぱらポスターや有権者への手紙、街頭でのビラ配りなどがわず

かに許された方法であった。そこで、私は顔写真の入ったポスターを沢山作って電

柱や壁に貼って歩き、政見を書いたパンフレットを配って歩いた。そのポスターを

一枚日本の兄に送り私の立候補を知らせたのである。後で知ったことであるが、そ

の頃、親父はすでに死の床にあった。親父は、その一生を選挙に費やしたと言って

もいい程の選挙狂であったから「これで自分の跡継ぎが出来た」とでも思ったので

あろう。「ブラジルの選挙が終わるまでは、俺が死んでも知らせるな」と言い残し

て死んで行ったそうである。

 昭和28年頃の事である。高校を卒業して東京のある出版社に就職した18才の私は

会社からの帰途、中央線阿佐ヶ谷駅の広場で聞いた帆足計代議士(社会党)の名演説

に深く感動した、帆足代議士は、戦後初めてソ連に招待されて、政府の許可なしに

ソ連に入国した人である。それ以来、私は夜学の授業をサボって、野党候補の選挙

運動に熱中し、政治運動にのめり込んでいった。

 親父は、戦争中、東条内閣の主催した大政翼賛会運動に参加し、戦後の一時期に

は「公職追放」されたこともあり、保守の塊のような頭の持主であった。戦後の選

挙では、いつも保守党候補の選挙運動に一生懸命で、新しい革新的な思想には耳を

傾けようとはせず、革新的な思想を持つ者はすべて「赤」よばわりした。しかも、

選挙狂的なところがあって、選挙がある度に手弁当で選挙運動をして歩き、田舎の

ことながら「選挙の神様」と言われたほどである。私が革新的な野党候補の応援に

参加していることを知った親父は、カンカンになって怒った。それ以来、親父と私

の間には大きな溝が生まれ、対話はとだえがちになり、ついにそれは埋められるこ

とはなかった。

 日本から通知が届いた年末、兄弟から届いた手紙を読みながら、私は親父と自分

の間にあった「溝」が埋められていくのを感じていた。そして、位牌を削りながら

”口には出さないが、心の中では私のことを心配していたのだ”と納得し、これで

和解が出来たと思ったものである。

 8月は日本のお盆である。その日、黒く汚れた食器棚の位牌を眺めながら、私は

しばらくの間、回想にふけっていた。一生仕事らしい仕事もせず、家のことも子供

のことも余り顧みなかった親父、そして政治家というには余りにも程遠い町会議長

を最後に死んでいった親父は政治を志して政治家にはなれなかった生涯であった。

だが、口角泡をとばすような熱のある親父の演説には定評があった。内容はそれほ

どでもなかったが、その名調子は確かに聴衆を引き付ける魅力にとんでいた。

 私は、ブラジルに移住し、移住したからには良きブラジル人として、ブラジル社

会に溶け込んでゆかなければならない、と常に考えて来た。移住18年目に市会議員

に立候補したのも、そのような考えからであった。日系人の殆どいないゴヤス州の

州都での私の暴挙は、見事に落選の憂き目にあったが、政治家を志して政治家にな

れなかった親父の子は、やはり「カエルの子はカエル」の域を出ることが出来なか

ったのだと思う。日本人一世がブラジルの政界にでること自体暴挙であったが、そ

れ以来、街を歩くと、見知らぬブラジル人が親しみを込めて私に話しかけて来るよ

うになった。落選が確定した日、私は見知らぬ外国人に投票してくれた2000票あま

りの有権者に感謝しつつ、ささやかな弁護士事務所を開けたのである。

今井 眞治(Shinji Imai)

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