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名前 根本 文子
住所 パラ州 ベレン市
生年月日 1925年3月2日

「日本人が見たブラジルの風習」

私は日本の生活三十二年過ごした間太平洋戦争勃発、敗戦まで苦難を国そのものが大難の渦中にあったその時代を青春を過ごし日本の風習を身につけて南米へと移民で来て驚くことばかり、いつになっても日本の常識が頭から離れないでいます。ここはブラジルよと友人が口にするけど、なかなかブラジル人になれない。

サンパウロの日本人町で長く生活して言葉も他のことも不自由しなかったが、ブラジルの南アマゾンの近くのベレン市に移り住むことになった。サンパウロ市では四季を肌で感じましたが、アマゾン近郊は暑い夏、一年中夏ばかりで、そこに住む人、道徳の欠片もなく、自分さえよければいい国民性、どうしてこんなに明るく楽天的野放図でデタラメなブラジル人、ブラジルの社会構造が出来上がったのか?ブラジルは国土が広い上に各地域によって気候風土が異なりそれぞれに独自の歴史と文化をもっている。こういう多様国家のブラジルを一つや二つでの解明をしようと思っても間に合わない。

ベレン市に住んで平気で物を盗むこと、金曜土曜日曜に朝迄騒いで酒を飲んで大声で音楽をガンガンかけて人のことなど考えない。おかげで不眠続きで、私達の様な年寄りの住むところではありません。

郷に入らば郷に従ったほうがいいとは思いますが、夏ばかりで気候と慣れない食事、ブラジル食はどうも馴染めない。日本食はサンパウロでは安く手に入りますが、ベレンでは倍以上高く、食べることは出来ません。暑いところですから水と油っこいものを身体が要求します。

今は日本の風習も外国、特にアメリカ被れと言ってよいか随分と変わったようですが、私達一世世代では行儀作法から古風の常識を身につけて育ったことは、南米の地では通用しない。つくづく日本もまだ昔のままの風習が残っていますかしら?南米から日本へ出稼ぎに行っているニュースで耳にしましたが、ブラジル二世はここで生まれブラジル人になっています。

スーパーに行って品物を盗む、夜は遅く迄騒ぎ、日本人から大きな非難をされています。日本が高度成長に向けて突き進みはじめたのも日本人は勤勉で努力型、国は小さいのに世界二位三位にランクしているが、ブラジル人は働くのはどうでもよく、色々な会社(電気・TEL)なども何度も足を運ばなくては行けない。ここはアマニャン(明日)は必ずと発言して約一ヶ月。明日は一ヶ月先のことなのです。

日本人はもともと大変礼儀正しい民族です。先進国でありながら社会秩序が保たれているのは礼儀を尊ぶ精神です。学校教育法がきっかけで国もよくなり人々の生活も改善されるともいます。国の将来を考える心がなければいつ迄たっても同じことです。どこへ行っても日本人は住んでいます。

九月、敬老会に出席しました。その時、日本から若い女性三名ボランティアで、一名は老人ホーム、他二名は学校関係で、その人たちが「ベレンに来て」という漫才をしました。日本を出る時、アマゾンの近くと聞いてインディオがいるところと思って来たら、意外に都会なので驚いた。ブラジル人中年女性は太っていて、何かあるとすぐ胸で十字を切っている。アパートに強盗に入られたが、何もなかったので助かった。バーでピストルを突き付けられた。などの話を面白おかしく味付けして話していました。

これでも分かるように日本人は狙われるのです。サンパウロやリオ・デ・ジャネイロの犯罪件数は正確な数字では表されず、日本人で犯罪のために命を亡くした人は想像以上に多いのです。日本人旅行者のバックを切り取り現金を奪い、最悪の場合命までも奪うのです。ブラジル人の悪いことをする知恵はものすごく優れたものです。二世三世が日本人の顔をしてブラジル人になってしまう。環境はひどいものと、古い頭を捻っています。

性別や世代や価値観の違う相手に自分を理解してもらおうとする意欲は消え失せ、ここはブラジルとあきらめています。

忘れかけていた故郷が懐かしく山川を思い出します。

根本文子、ブラジルに居住して四十三年になります。

根本 文子(Fumiko Nmoto)

Rua Margues de Herval 2359, apto 503, CEP66080-350, Belem, Para, BRASIL