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名前 箕輪 新七
住所 パラナ州 ロンドリーナ市
生年月日 1912年9月28日

「ブラジルと移民」

 1500年4月25日ポルトガルはペドロ・アルベス・カブラルによりブラジルを発見。

1530年ドン・ジョアン三世により拓殖開始。世界のコーヒー供給国となり、その労働

力はアフリカの黒人を奴隷とすることで補った。1822年9月7日ブラジルの摂政ドン・

ペドロ二世が「独立か死か」と叫んでポルトガルからのブラジル独立を宣言、更に、

1889年11月15日共和制国家となるが、それに先立ち1889年5月13日ドン・ペドロ二世

の息女イザベル皇女によりその摂政任期中に奴隷解放令が発布され全国75万の黒人奴

隷が自由の身となり、勿論アフリカよりの奴隷移入は禁止された。その労働力不足を

補う為にイタリアをはじめ欧州各国を中心に移民導入を開始。日本からは1908年 6月

18日、第一回笠戸丸移民780人がサントス港に上陸した。以来戦中12年の空白時代が

あるが、戦後の20年を含めて日本移民は約25万人を数える。

 初期移民は、全く奴隷代わりであり、まともに人間扱いはされず命懸けで耕地を脱

出した時代もあったが、往々に移住地建設が行われた。戦後はいよいよ永住が決定的

となり、ブラジル農業の発展への日本移民の功績が大きく認められた。今日その日系

の数は120万人を超え日伯修好百年(1995年)の道に輝かしい役割を果たして来た。

 ブラジルの北は赤道直下のアマゾン地帯から、南はアルゼンチンに接する地帯まで

あらゆる所に日本人は住み活躍し続けている。

 私が現在住んでいるのはブラジル南部パラナ州ロンドリーナ市である。まさに常夏

の国と呼ぶにふさわしい位置にある。英国の殖民会社がこの世界にたぐいない肥沃地

帯に目をつけて北パラナ一帯の開発殖民会社を創設しその中心都市をロンドリーナ=

小ロンドンと名付けた。

 丁度私がブラジルに移住して来た1930年に日本人により開拓の初斧が打ちこまれ、

折りからのコーヒー景気に「コーヒーの都」として名実共に大発展を重ね、農村都市

としては世界にその類を見ない繁栄を成し遂げた。

 原生林から生まれて六十有余年、人口四十万の近代都市の偉容を大平原の一角に現

出している。海まで500km、隣国のパラグアイまで5万kmその間に山を見ない大平原、

一大穀倉地、その間に日本人の拓いた農業により栄える町が続いている。世界中の人

種の坩堝ブラジルその中の小島民族の日系は産業に文化に力強い存在を示している。

 1870年から1970年に渉りブラジルが導入した外国移民は530万人を超える。それ程

の国力を有したブラジルが今日各国への出稼人を送り出し、それを国の経済の助けに

している。如何に政治の根本を誤っているかを窺い知れる。

 天災の至って少ない国、戦争に加わらない国、土地が有り余る国、人種偏見のない

国、昭和五年日本では生きる才が無いと移って来た人間を一人前に養って、一人で来

れしを一族三十人の頭としてくれた国、その間日本人として生かしてくれ、今日日本

の言葉の中で楽しく暮らせる国。我を生み、十八年育くみし祖国日本。移り来し民を

六十七年なおも養い続けてくれるブラジル。更には我が子孫の国ブラジル。共に貴び

抜かなむ。

 大いなる夢と移りしブラジルに小さなうつつの倖に生く・・新七

箕輪 新七(Shinshiti Minowa)

Av. Brasilia 3055, Caixa Postal 865, Londrina, CEP:86100-000, PR, BRASIL
TEL:(043)329-0841