Que se chama "Esperanza"(希望と呼ばれている奴)


最近面白い本を見つけた。"「運と気まぐれに支配される人たち」ラ・ロシュフコー箴言集、吉川浩訳"という格言集だ。短い言葉の中にいろいろな人生のエッセンスがつまっていて、なおかつ思わずうなずいてしまうような格言がたくさんある。言葉どおり私達は運と気まぐれに人生を支配されているような気がする。

"会わないでいると、ありきたりの情熱は冷め、大いなる情熱はいや増さる。あたかも、風が蝋燭の火を消し、火事の炎を煽るように。"
"われわれに足りないのは、力よりも意思である。われわれが、物事を不可能と思い込むのも、とかく、自分自身に言い訳するためだ。"
"恋を定義するのは難しい。言えることは、魂にあっては支配したいという情熱、精神にあっては共鳴である。そして、体にあっては、なんとしてでも好きなものを手に入れたいという、隠微な、鋭い欲求にすぎない。"
"考えあぐねて、どうにもならなかったことが、何かの弾みでものの見事に分かり出す。われわれの頭には、こうしたことがしばしば起こる。"

などなど本当に共感する内容ばかりだ。その中でも特に気に入ったのはこれだ。

"われわれは、希望という奴に一杯食わされどうしだが、それでもやっぱりこれに案内され、楽しい道を歩み、人生の終点にたどりつく。"

まったくその通りだ。希望という奴は本当に曲者だ。しかし、私達はこれがなければ生きてはいけないのだ。たとえばある人の人生で、希望を持って生きていればいつかわ報われるだろうと思いつづけて生きて結局、報われないこともあるだろう。しかし、報われなかったのは結果であり、希望を持ちつづけて生きていた間は希望を持たないで生きているよりはずっと楽しかったに違いない。

私はいま人生の分岐点に立っている。大学を終え、そして、イギリスへの留学も終え自分がやりたかったことを一通り終わらせた。つまり、私の人生においてひとつの季節が終わったのだ。それは季節にたとえればそれは春と夏だ。大学までの"長い春"が終わり、そしてイギリスへ留学した"短くも楽しかった、情熱的な夏"が終わり、そして実りの時期へ突入する時がきた。

本当は夏が一番好きだ。輝く太陽の下で何が起きるかわからないというわくわくした気持ちにさせてくれる夏、短くも忘れなれない思い出がたくさんできる夏、本能や情熱のままに行動できる夏、裸で付き合える夏、そして大好きな向日葵の花が咲き乱れる夏。しかし、長く続かないのが夏。そして私はこの人生においての夏をイギリスで過ごした。1年弱という短い期間に私が得たものは本当に多かった。本当に裸で過ごした季節だった。

私が夏のバカンス地に選んだイギリスでいつのまにか私はブラジルに恋をしてしまったのだ。ほんの火遊び程度のつもりだった、しかしここまでのめりこんでしまうとは誰が予想できただろうか?ましてや1度も足を踏み入れたこともない国なのに。

私がそもそもイギリスに行きたいと思ったのは、イギリスという国に惚れたからだった。高校時代にはじめて訪れたイギリスは私にとって別の世界だった。それから私は常にイギリスに行きたいという希望をもって日々生活をしてきた。そして、私は去年の8月にイギリスへと向かった。そう、イギリスへ行きたいという希望と呼ばれる奴に人生を案内され私はイギリスへ向かったのだ。正直言って私はイギリスが私の国だ!とおもっていたし、今回の留学で絶対仕事を探し定住計画を実行するのだという意思をもってヒースロー空港に降り立ったのだ。しかし、私はこいつに一杯食わされたのだ。

私がイギリスで発見したことはイギリスという国の表だけを見ていて、中身を見ていなかったのだ。つまり、中身=人をみてイギリスに惚れていたのではなく、外=ロンドンの雰囲気やロンドンという街に惚れていたのだと。そして、定住計画を実行するにはそこに住む人というのが大切なアイテムだということに馬鹿な私は気づいていなかったのだった。それを気づかせてくれたのは、ほかでもないブラジル人だった。

人は誰でも若い時になにかにかぶれる。わたしは絶対自分は自分をもっているからなにかにかぶれるなんてありえないと思い続けていた。そう、今回イギリスに行くまでは・・・なんと、まあ、おばかさんだったことか。まさしく、babaconaだ。しかし、ときにこの"かぶれ"は人の人生を大きく左右することもある。いい意味でも、悪い意味でも若いときになにかにかぶれるということ、この"かぶれ"と呼ばれるものは人生という料理を作るにあたって必要な材料なのだ。これがないと人生はおいしくない。そう、私はヨーロッパにかぶれ、とくにイギリスにかぶれだったのだということを私はイギリスではじめて気がついた。そのおかげで私はイギリスへ向かい新しい曲者に出会うことができた。しかし、その反面これのせいで周りが見えなくなっていたのも事実だった。それに気づかせてくれたのはほかでもない恋をした相手だった。日本にたころ、よく親に「かぶれ!」といわれ、「そんなことない、私はイギリスの全てを見てイギリスに惚れている。あそこしか私の住むところはない」といつも断 言していた。本当に今思うと…

しかし、私はこの"かぶれ"のおかげで、イギリスに行ったことでよりいっそうおいしい人生が作れそうな予感がしてきている。最高の料理を作るには最高の材料、ちょっとした"コツ"と料理を引き立たせるスパイスそして、最後にそれを煮込む時間が必要だ。人生という料理を作るにも、最高の人々、場所(材料)、時間、そして人生を楽しくさせるコツ、とそれを面白くさせるスパイスが必要だ。私はその最高の人々に出会ってしまった。そしてその人たちから人生という料理をおいしくさせるコツを教えてもらった。おまけにそれを面白くさせるスパイスまで授かってしまった!

私は今また新たな奴に人生を案内されはじめた。それは、私の恋した相手だ。恋した相手だけに、こいつに一杯食わされるかもしれない。そしてこいつを抱きつつけている間は辛いこともあるだろう、いろいろな困難にぶつかることもあるだろう。しかし、こいつに導かれている間は、十分楽しめる予感がする。だから私はこいつを信じて秋に向けての人生の道を歩いていこうと決めた。たくさんの寄り道をするかもしれないし、回り道をするかもしれない、しかし、いったんこいつを信じた以上は最後まで信じきろうと決めたのだ。だから後はゆっくり時間をかけて煮込んでいくだけだ。