2009
第三部・劇
『入植祭・白浪五人男』

3a Parte TEATRO 

"Cinco Espirito Rebelde"

(Shiranami Gonin-otoko)

 

作・脚色・演出-Autor・Adaptação・Direção:Masakatsu Yazaki
音楽-Música:Masakatsu Yazaki

 
Direcao:Masakatsu Yazaki開演前の俳優達
   矢崎正勝                                          歌伎舞史上初(?)の女優も出演
Plateia
満員のテアトロ・ユバの客席



移住地の入植記念日を祝う演芸会劇「白浪五人男」の練習風景



主役弁天小僧をを志望した良平だったが、俺ブラジル子だからやっぱり出来ない、と先輩達と諍い   



終戦直後の演芸会の写真を見る           (今回はポルトガル語訳の字幕も)
昔日の思い出話に花が咲く



終幕の見せ場、稲瀬川ならぬ「チエテ河勢揃いの場」の仕込みと、開幕を告げる司会者のマリアン



        南郷力丸(矢崎勇・3世)
Nango RikimaruAkaboshi JuzaburoTadanobu RiheiBenten-kozoNippon-daemon
南郷力丸(3世・勇)、赤星十三郎(2世・克也)、忠信利平(1世・辻)、弁天小僧(4世・大五)、日本駄右衛門(1世・高山)
Gonin otoko seizoroi
さらば手柄に〜捕らえてみろ〜!「チエテ河勢揃い」の場



    捕り手との立ち回り                        弁天小僧の見得(弓場大五・4世)
サクラの稲瀬川ならぬ、 イッペー(国花)満開のチエテ河畔
 
劇中の 組合長・瀬上 登の終演の挨拶
 
喝采のうちに無事終了リラックスした五人男達と記念撮影
 
 

第三部 劇 (3Parte Teatro)
 

「入植祭劇・白浪五人男」


 入植記念日を祝う演芸会の「白浪五人男」の稽古に励む、とあるブラジル奥地移住地の演芸部の役者達。主役を買って出たはずの若者・良平は歌舞伎という伝統芸能の難しさから演出の木島の要求に応えられず、俺ブラジル子だからやっぱり出来ないと勝手に役を降りてしまう。そんな彼の行動を、今時の若者は責任感が全くないと嘆く先輩達。
 しかし、青年団長を務める良平、今ここで降りたら団員達に顔向けが出来ないと、一人コーヒー畑で密かに練習をし再び戻ってくる。なぜ思い直せたのかといぶかる先輩の澄子に、団長の自分が率先して舞台に立つことで後輩達も見習ってくれるはず。衰退していく移住地の活気を取り戻したいからだと思いを告げる。
 日本伝統文化を継承させようと、意気込みすぎた演出の木島も至らなかった指導を反省、良平の弁天小僧で稽古を再開する。軽率な若者と馬鹿にした先輩達も二人の心情に感激、稽古は熱の入ったものになっていく。
 そんな中で良平が皆に投げかけた、なぜ、より文化的な移住地を創ろうと唱えた肝心の創設者達とか、理事達は芝居に参加しないのかと言う疑問から、木島の演出は一転して、
『問われて名乗るもおこがましいが 生まれは遠州浜松在、十四の年から親に別れ・・』と言う「白浪五人男稲瀬川勢揃い」の場が、
『生まれは信州諏訪の在、若え頃よりアメリカに苦学力行青年を、雄飛させんと四苦八苦、更には大和民族の、発展のため海外に、移住地設立せんがため、ブラジル、アジア、満州と、世界をまたに駆けめぐり、探し当てたるこのノロエステ・・・日本移民にその名を残す、永戸・稠左衛門〜。』 と「新山五人男チエテ河勢揃い」の場へと大変身して行く。

(新山とは、原生林を伐採して倒木を焼き払った後の一面真っ黒な大地のことで(荒山)とも呼ぶ。その後数年間は、無肥料で作物が良くできる。)

 
 
 

 


アリアンサ移住地近在のチエテ川と昔日のノーヴォ・オリエンテ橋。 1935年に完成、下流に造られたダムの影響を受けて1990年に水没するまで優美な姿を保ちつつしっかりと役目を果たしてきた。

チエテ川は、サンパウロ市の在する海岸山脈に源を発し奥地数千qを流れ、やがて
アルゼンチンのラプラタ川に合流して海に注ぐ大河である。



 
 
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