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名前 Cris 村上(ペンネーム)
住所 サンパウロ州 サンパウロ市

「ある移民の話」

 その人は、約四十年ほど前にブラジルに渡って来た。食べるものも充分になかった

そんな頃、既に死に別れた父親の後妻と腹違いの妹に何もかも譲り、家を出た彼には

敗戦のどん底からブラジルでの現在の生活に至るまで、口では言えない、一言では言

えない苦労があったに違いない。まずは生き残るための手段を考えそれを実行に移さ

なければならなかった。そこで自分が幼かった頃、父親が営んでいたお菓子屋で習っ

たことを生かすことにした。いや、ひょっとするとこの考えは日本を発つ前から既に

彼の頭の中で何らかの形で工作されていたのであろう。

 それでもまだ言葉の問題がある。そこで役に立ったのが語学好きな彼が独学で学ん

でいたドイツ語や英語だった。ブラジルに来てすぐ、彼は運よく一人のドイツ人商人

に出会い、その人の店で働きながら商業の初歩から実践を通して修得することになっ

た。数年が経ち、将来についてのプロジェクトの基盤ができたと思った彼は、思い切

って独立し、現在中央市場がある付近にやっと一台の車が入る位の大きさのガレージ

のような所を借り、商売を始めた。慣れるまでは夜遅くまで数字とにらめっこ、そし

て計算機で何度同じ計算をやり直したことであろうか。一歩間違えれば仕入れた品物

の期限が切れ、捨てることになる。それでも、時期がよかったのだろうか、単に運が

よかったのだろうか、あるいは宿命のようなものだったのだろうか、商売は順調に伸

び、やがて借りていた店舗を買い取ることになり家賃に追われることもなくなった。

更に新たに店舗を買い取ることもできた。彼の事業は進展し拡大されていった。何度

か拡大のための引っ越しもせざるをえなかった。

 同時に私生活においても彼は大きく進展していた。日本から妻を迎え家族が増えよ

うとしていた。それは、あまり家族に恵まれなかった彼にとって大変めでたいことで

あった。そして時は経っていった・・・。

 市場周辺の人々にはお馴染みの洪水や数多くの盗難事件に遭いながらも彼はめげず

に戦った。眠れない夜も、借金に追われて銀行との交渉に急いだことも何度もあった

だろう。それでも家族の支えと本人の意欲、そして努力によって彼は乗切ってきた。

 三十五年前に始まった彼の事業は、少しずつ子供たちの手に受け継がれ、現在も大

きくなりつつある。彼自身もまだまだ活躍することであろう。

 彼の家族は増え、孫もできた。自分の家も自分の店も持つことができ、今では年に

一度は好きな外国旅行に出かける余裕もできた。三百万人ほどのブラジル日系コロニ

アの中でも目立たない生活をしてはいるが、彼のことを知らない者はいない。彼が数

少ない成功者の一人であることは言うまでもない。それでも彼は、家族の前や友人の

前では決して苦労話などしない。その上、彼の成功について決して自分の努力の賜物

であることを認めようとしない。そんな話になると、常に彼は「ちょっと運がよかっ

ただけだ」と言って微笑むのである。

Cris 村上

ご本人の希望により住所などは公開いたしません。