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名前 峰村 靖子
住所 サンパウロ州 サンパウロ市
生年月日 1933年8月21日

「マダレーナ」

 私がブラジル人ばかりのツアーに、ひとりで参加しようと思った動機はいくつも

あるが、その筆頭にあげられるものは、ブラジル語会話の習得である。母国語圏内

よりはるかに永くなってしまったこのブラジルで使う言葉の未熟さ、不自由さは

「今からでも遅くないー」の切なる願いとなって、私をせきたてるのだ。「生みの

親より育ての親」ごサンに対して、いつまでもママ母語であっては申し訳ない。と

いう気持ちが、たとえ短時日にせよ、日本語の通じない旅行を選ばせたのである。

 その最初のツアーでのこと。長距離バス発車後、間もなくガイドさんの説明が始

まる。旅の案内、予定、注意事項等だが、一度にアレモコレモと話されると、この

期に臨んでもなお、私の聴解能力はその許容量を超えることなく、おおよそのこと

しか聴きとれない。つづいて最前列に座っている私から順に、自己紹介するように

マイクが向けられる。しかし、彼女の目は(何ならしなくてもいいのですよ)と、

ブラジル語では人前でしゃべったことがない私のためらいを見透かし、また、当然

私がその好意を受け入れるだろうと語っている。(ここで話さなければ、全然言葉

が分からないのに、ブラジル人の中に入っておかしな日本人だ、と思われやしない

か、簡単な自己紹介ぐらいするのが礼儀というものではないか・・)といった心理

状態は、後になって分析するので、その時の私は全く何の考えもなしに、マイクを

持って立ち上がった。

”今晩は、皆さん、私の名前はヤスコ・ミネムラです。どうぞよろしく。今まで何

度も同国人とは観光旅行をしましたが、ブラジル人ばかりとは初めてです。私は小

学校の先生をしていましたが、今は退職者です。この国には33年間住んでいますが

ブラジル語は充分ではなく、従ってガイドさんの話す声も小鳥のさえずりのように

聞こえました。けれども、私はブラジルが大好きです。すごく愛しています。別け

ても、この国のスポーツには大きな関心をもっており、応援しています。ですから

ブラジルが勝ったときは大変うれしく、負けるとがっかりして、家事も手につきま

せん。いい旅であるように願っています”とまあ、これだけを正確なブラジル語で

淀みなく話したと言えば聞こえはよいが、とてもとても。LとRの発音の区別どころ

か、土台ブラジル人に通じる話の文になっているかとなると、心許ないことおびた

だしい。その上、よせばいいのに、”インフェリスメンテ エウ ソウ カザーダ”

(残念ながら私は既婚者です。)と言いながら結婚指輪のはまった左手をかざして

見せたのであった。

 兎に角、人前で話すことができた、安堵感はなかった。満席の乗客はじっと聴い

てはくれたものの、何の反応も示さなかったのだから・・。下手なら下手で冷やか

してくれてもかまわない。さもなければ、お義理の拍手ぐらいはあってもよいので

はないか、何もなかったのである。大きくふくらませたゴム風船を力一杯叩いたは

ずなのに、少しも遠くへ飛ばなかった、と同様の手応えであった。”オブリガーダ

(ありがとうございました)”ガイドさんはそう言って、中味でふくらんだ会社の

袋をくれたが、”レコペンサ(ごほうび)?”と私はまた恥の上塗りのような言葉

をつぶやいた。

 次々とマイクが渡され、全員が済んでナゾが解けた。自己紹介といっても、各人

一様に”XXです。この会社からのツアーは X度目です。よい旅でありますように”

という程度。中には”XXの親戚です”と高名な政治家との同姓を名乗って笑わせた

りもするが、ほとんどが紋切り型のあいさつ程度なのだ。そんな雰囲気が尾を引い

たとは思えないが、翌朝から夕方までのバスの中は、まるで試験場に赴く受験生を

運んでいる様な空気に満ちていた。

 その夜、私は容易に寝つかれず、ホテルの1人部屋のベッドで転々と体の向きを

変えていた。(何であんなにしゃべったのだろう・・名前と仕事ぐらいにしておけ

ばよかったのに・・小鳥のさえずりだなんて・・ガイドさん気を悪くしなかったか

しら・・スポーツだって贔屓のチームの名ぐらい挙げておけばよかったのに・・。

そして、余計も余計、”インフェリスメンテ”からの言葉は、ブラジル人は間違っ

ても口にしないだろう)”レコペンサ”の意味が合っているかどうかも気になった

が、今は確かめようもない。考えれば考えるほど気が滅入る。あの静けさが、即ち

彼女、彼等の本心である私への物笑いだった、という思いにさいなまれ、いっそ、

あの折りのガイドさんの好意へ暗黙の了解をとりつければよかったのにとほぞをか

んだり。その夜は、大して寒くなかったのに、私は冬ごもりの熊のような格好をし

毛布をスッポリ頭から被って眠った。

 これにこりて、次からの自己紹介は、通り一遍のあいさつを決めこんだので、こ

となきを得たし、会社によっては、ガイドさんがリストを読みあげるだけで、その

機会もなかったのである。今年のカーニバルも、ブラジルの会社のツアーに加わる

ことにした。出発の日の集合場所は旅行客であふれ、バスの群れはさながら現代の

キャラバンだ。その中の一台、私が乗るバスのドアが開いた途端、私は「アッ」と

声を上げた。何と1回目のガイドのM嬢が降りたのである。私達はこの偶然の再会

を喜び、思わずアブラッソ(抱擁)を交した。いつかまた、同じガイドさんにめぐ

り会えたら、せめて彼女にだけは、紋切り型の自己紹介をする、おとなしいジャポ

ネーザ(日本人)と思われたい、という願いを心の片隅に抱いていた折りも折りの

こと、5度目の正直であった。

 そんなわけで、座席もわざと最後列を選んだ。ところが、今回の自己紹介は”ハ

イーニャ(王妃)イタリアーナ、マリア アントニエッタ”と名乗る、おそろしく太

った中年の女性が笑わせたのを皮切りに、1人1人がけっこう気の利いたことをしゃ

べり、楽しいムードがただよう。私も何か一言、この場の空気にそまる言葉を発し

たい、と心ははやるが、一方ではまた、(コレガイケナイノヨ、ヨケイナコトヲイ

ッテハダメヨ)と自分に言い聞かせてもいた。それで、皆の前に立ちマイクを握る

と”メウ ノーメ エ マダレーナ ムイト プラゼール”(私の名前はマダレーナです

どうぞよろしく)とだけ言った。キョトンとした顔つきをしたM嬢は、もっと言う

ことがあるはずだとばかりに言った。”ソウ?”(それだけ?)"ソウ”と私は答えた

が、彼女の(もっと話してもいいのですよ)の目配せに気がつき、とっさの思いつき

で”プロフィッソン アポゼンターダ コン・・”(年金付退職者、これだけの・・)

と付け足し、人差指と親指の間をできるだけ薄くして目の高さに上げたのである。

テレビの人気番組であったシッコ・アニージオの”エスコリーニャ・ド・プロフェ

ッソール・ハイムンド”(ハイムンド先生の小さな学校)のタイトルマークで先生

族の給料の薄い札束を意味している。一同、ドッと笑った。このサインが、旅行客

達の間に引かれていた歓喜の導火線に火を点けたかのように、それからの道中は、

M嬢の巧みな司会ぶりもあってにぎやかになるばかり、やがて、バスの中では時な

らぬ合唱が始まった。

Madalena Madalena
Voce e meu bem querer
Eu vou falar pra todo mundo
Vou falar pra todo mundo
Que eu so querer voce
マダレーナ マダレーナ
あなたは 私の愛しい人
私は みんなに 言おう
みんな 言おう
私が あなたを すごく愛していることを

”マダレーナ マダレーナ"の呼びかけで始まるこの歌は、誰でも知っているらしく

12歳の少年までが楽しそうに声を合わせている。横の席のお嬢さんが書いてくれた

歌詞を訳してみると、上のようになるだろうか。この合唱がカーニバルのお祭り気

分を盛り上げる前座をつとめたかのように、当夜のパーティは最高潮に達した。ホ

テルの広い会場はそのための準備がされており、バンドは絶え間なく演奏し、一同

夜更けまで踊りに興じた。それはまた、近く結婚するというM嬢の皆を活気づける

腕によるところが大きかった。自らが踊りの輪に入り、しりごみしている人をも誘

いこむ、踊り、歌い、笑いと、このお嬢さんが前と同じガイドさんかと、別人を見

る思いがしたものだ。そして彼女は”ドーナ マダレーナ、ドーナ マダレーナ”と

よく話しかけ、サービスにつとめてくれる。そう言えば、あの時は"ドーナヤズー

コ”と私の日本名を言いにくそうに呼んでいた。

 ところで、この"マダレーナ"であるが、ブラジルの戸籍に登録してある名前では

なく、また、洗礼名でもない。ブラジル人が呼び易いように自分でつけただけで、

強いてあげる由来はない。いわんや、”マダレーナ”の歌があることなど露知らな

かった。マダレーナの合唱とカーニバルと幸せそうなM嬢が三つ巴となって、楽し

さが3乗にふくれあがったツアーは終わり、全員合格した受験生を乗せたような歓

喜の車は帰途に就く。

 思いもよらない沢山の実入りで私の頭はいっぱいになり、”前の旅はあんなに静

かだったのに、今度はどうしてこんなににぎやかになったのですか”とM嬢に聞こ

うと心算りしていた問いかけを思い出したのは、私が家に帰り着いてからのことだ

った。



* 峰村 靖子(Yasuko Minemura)

Rua do Abara 80, Brooklin Paulista, Sao Paulo, SP, BRASIL

Tel:011-240-7606