名前 | 友永 久長 | |
住所 | サンパウロ州 ジャカレイ市 | |
生年月日 | 1936年2月18日 | |
最近、ブラジル国サンパウロ市地区では、しきりに日本語で編集した 出身県別の県人史が刊行されていてチョットしたブームのように感じら れています。 私の所属する大分県人会でも、1997年の県人会創立45周年記念事業と して、ブラジル大分県人の実態調査を敢行することとなり、1996年度総 会で決議、承認されたので、委員会を設置して取り組んできました。 何故日本語でかというと、ブラジル側の受入れが厳しく制限されたこ とにより日本からの新移住者が最近少なくなっていること、ブラジルに 在住する一世が年々高齢化していること、日系人の指導者層が二世三世 に移行していて日常会話・会議等で使用する言葉がブラジル語となって いて日本語を使用する機会が少なくなっていること等が背景にあり、何 らかの形で日本語を残そうとする現象であると思われます。 日系農業人の大黒柱であったコチア産業組合が崩壊し、清算作業が行 われていることは、日本語で営農してきた人達にとって大きな痛手とな っています。その農業人が好景気時代に盛り上げたサンパウロ中心街の ガルボンブエノ日本人街も今は日系人の店が少なくなっていて、韓国人 中国人が中心に商売している東洋街に変身してしまいました。また、今 日までサンパウロ市を中心にして日本語新聞が三紙発行されていました が、今年の三月三日には二紙が合併して日本語だけでなくブラジル語に よる新聞が発行されるようになりました。 このような背景もあって、この地では日本語で編集発行できる最後の 機会だろう、自分の名前名字が漢字で印刷される機会はなくなるであろ う、との考え方を強く持っている人が多くいるのではないだろうか。 使用しなくなる日本語、消える運命にある日本語を何らかの形で残そ うとする考え方が、最近各団体が発行するそれぞれの歴史を綴った県人 史となって現れているのではないだろうか。 ちなみに、我が大分県人会では実態調査だけでなく、県人会の歴史、 各個人の歴史、歴代大統領・大使・サンパウロ総領事名等の資料も掲載 した「ブラジル大分県人の歩み」を1000部刊行しています。 ご希望の方は是非ご連絡ください。 |
友永 久長(Hisanaga Tomonaga)
Rua Cincinato Fogaca de Almeida 34 Jacarei SP, CEP:12300-000 BRASIL