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名前 安部 栄子
住所 サンパウロ州 カンポス・ド・ジョルダン市
生年月日 1907年1月15日

短歌集「山の音」

〜「山の音」あとがきより〜

 私が短歌に思いを寄せるようになったのは渡伯以前で、文学少女

であった友だちや、小学校時代の先生方と青春時代のしばらくを、

短歌の互選会などはじめて三年ぐらいつづけて楽しみました。しか

し結婚してからは環境の変化などで中断していましたが、一九三一

年に渡伯して間もない頃、入植したパラグアスー地方の棉作りの耕

地の近くで渡部南仙子という方が日本語の学習塾を開かれ、同時に

「伯日短歌会」を主宰されることになり、私もそれに名を連ねてお

りました縁で、一九三八年に創刊された歌誌「椰子樹」を初めから

手にすることが出来たのは幸いでした。

 三十一文字の短歌にこもる言葉の韻き、しらべ、流れというもの

に私は私なりに魅かれる思いで、これまでつづけて来ました。何十

年と携わって来ても、進歩も発展もない作品ばかりではありますが

いま顧みて、なに一つ悔いはありません。

 生死の中をさまよう程の病苦の時も、辛い生活苦の中に大勢の子

供達を育てあげる苦渋の中でも、この短歌が慰めとなり、はげまし

となって来ました。

 或る程度自分の力も判っているつもりの私は、歌集を、などとは

思ってもみなかったのに、或日偶然息子の一人が、西田季子さんの

歌集を手にして、ママイもこんなにして出版してはどうか?と言っ

てくれたのがきっかけとなり、一方、昔、安部が引きとられて成人

した小沢家の娘さんの御主人が、多摩美術大学の教授をされており

脳神経科の医学博士で、文学方面にも委しく、一九七四年安部と二

人でお訪ねして以来文通が始まって時々は短歌なども書き送った間

柄だったので、安部の亡きあと、何とか歌をまとめて歌集を出すよ

うにと度々言われて来ました。安部が幼いとき育てられた恩義こそ

あれ、安部も亡くなった今、八十五歳を過ぎて移民の妻として、母

としての小さな足跡を残そうとすることなど、私にはとても厚かま

しい思いがして決断し兼ねたことでした。

 ともあれ子供達からの言葉がきっかけとなり、重い腰をあげたも

のの、生来整理癖の悪い私には何処から手をつけてよいやら迷うば

かりでしたが、昔から家族ぐるみ親しく、歌集出版にも先輩の西田

季子さんと、山の短歌会四十年のつきあいの歌友春名宏文氏御両人

に、恥を忍んで何でも相談して、温かい助言と親身の如き協力を受

け、その上「椰子樹」編集担当の清谷益次氏より、貴重な助言、歌

集出版の実際問題等に就いてご協力を頂き、私には過ぎた一文も寄

せて下さいましたこと誠にありがたく、改めて此処に記して感謝を

捧げます。

 初めこの歌集の一部を葡語訳にと希んだのですが、今はとても難

しく、一九七八年移民七十年の祭典に出席された皇太子殿下御夫妻

を迎えられた当時の州知事、パウロ・エジジヨ御夫妻の招待で出席

した私共に、日本の桜が咲くカンポスを話題に、親しく両殿下より

御言葉を頂いた折りの二首を、八巻培夫氏、パウロ・コリーナ氏の

訳で元州知事夫人の誕生日に請われて差上げたものがあったので、

巻頭に入れました。

 元州知事別邸と山の私どもの土地が隣接して居て、今も昔も、山

の店には常に見えられ、その当時知事の仕事を私の長女が手伝って

いたことなどの親しさからであったと思います。

 山に移って来てから今に至る迄の五十年の間、私の周囲には常に

山があり、谷がありました。山の韻き、山のいろ、山のすがた、山

の息吹き、山のことば、山のたたずまい、私の拙い歌では表わし難

いもろもろのものを山から受けてきた私、そして私の小さなよろこ

びも、悲しみも、憂いも、望みも、感謝も涙も、この山をはなれて

は何もないような思いがして、この歌集の名を「山の音」とした所

以です。

 安部を育てて下さった小沢家の御兄妹たちから、その後も手紙で

電話で、しきりに原稿を送るように、何でも自分たちに委せなさい

印刷の方もその道の人に頼んで滞りなくやるからとの話に、私はた

だただ人の心のうるわしさ、温かさに触れて泪ぐむばかりです。私

には恩義こそあれ、六十余年も過ぎた今、尚こうした言葉を心から

かけて下さる人たちが遠い日本にあると思い、今は亡き平八郎をも

含めて、ありがたく感謝の思いを心にふかく受けとめています。

 老齢の上に宿痾の心臓病や神経痛などで、独り歩きもままならぬ

私のためにいろいろと奔走してくれ、蔭ながら見守ってくれた子供

達にも心から感謝したいと思います。そして家庭の主婦が歌を作る

ことなど少なかった時代から、よく理解してくれて何処の歌会にで

も、快く出して呉れた亡き夫、平八郎の霊にも深く感謝して之れを

捧げたいと思います。
一九九二年三月



短歌集「山の音」



安部 栄子(本名:栄)

一九九二年十月
--
「サンパウロ市に移る」一九三八年作

街に来て流行は知らず明け暮れを子らにかまけて
年越さんとす

ふるさとにつづく夜空か降る如き満天の星冴
えてまたたく

何がなし思い新たに元日の朝清しく風渡る
なり

もの炊ぎものを濯ぎて繕いて我には楽し日々
の仕事の

煩雑と言わば言うべし自らは心楽しくなさむ
と思う

夜の街のどよめきの音打ち絶えて月の光は高
照らしつつ

月の光讃うる程ゆとり持ちて街の暮らしも
少し馴れたり

いささかの恙に我の臥し居ればあわれ愛しき
子等のもの問い

此の夜頃蒸し暑ければ子等二人寝冷えしぬら
む腹を下痢しぬ

人にもの言うが如くにもの言いてひねもす幼
は仔犬と遊ぶ

疲れ果てて眠り難き夜の床にひびきて聞ゆ
カニバルの唄

気にかけし便り書き得ず日を経れば追わるる
如き焦りを覚ゆ

みどり児の笑みを夫とし見つつ居て生活の重
荷しばし忘れぬ

日竝べて暑さは烈し子等の下痢癒えざるまま
に日はすぎてゆく

安部 栄子(Eiko Abe)

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