Babaconas


最近なんだかとっても、ポルトガル語の響きが恋しくて恋しくてたまらない。ポルトガル語が持つ独特な音の響きは私の中にやさしく入ってくる。その中でもとくに、babaconasの話すポルトガル語が恋しい。ボッサ・ノッバを生んだあのブラジルのポルトガル語の響きが。だからというわけではないが最近よく、ボッサ・ノッバを聴いている。

ジョアン・ジルベルトのやさしく、けだるそうで、そしてあたかも話しかけているように歌う彼の声が私は一番好きだ。また、なぜかボッサ・ノッバの詩というのは心に響く。"君に教えてあげよう、目では見ることができないけれど、心だけが感じることのできることを。一番大切なのは、そうだねやっぱり愛かな、だって独りで幸せになるなんて無理だもの。次は海かな。君に教えてあげることができないものは風が運んできて僕におしえてくれるからさ・・・"(wave)、"でも彼女が帰ってきてくれるならこんなにすばらしいことはないだろう。海に泳ぐたくさんの魚の数よりももっとたくさんのキスをして・・・"(chega de saudade)"イザウラ、今日はもう帰らなきゃ、君の腕に抱かれてしまったらもう目覚し時計なんてないも同じ、明日の朝は起きられないよ。仕事があるんだ・・・"(Izaura)等など。

特に私が大好きなの曲はカエターノが作曲して、ジョアン・ジルベルとが歌った、"menino do Rio" だ。私はたくさんのbabacaたちとロンドンでの生活を楽しんだけどその中でも特に忘れられないbabacaが2人いる。ひとりについてはもうすでに前に話した私の奥さん、garota de Ipanemaだ。そしてもうひとりはそう、garotoだ。

この間彼にメールを書いていると偶然にもこの曲がラジオから流れてきた。そもそも私がこの曲を好きになったきっかけというのはある日、彼がメールにこの曲を知っているかと聞いてきたからだ。その時はmeninoがmeninaになっていた。私はなぜだか知らないがカリオカがいい、絶対リオがいいとロンドンでいっていた。それとこれをかけたのだろう、彼は menina do Rioと書いてきた。その時はその曲がジョアン・ジルベルトの歌だとは知らなかった。もちろん、歌詞すらもしらなかった。しかし、それから2ヶ月後くらいにたまたまデパートに買い物に行ったとき、暇だったのでCDショップをのぞいていたら偶然この曲が入っているCDと出会った。

そのときは、ジョアン・ジルベルトのCDだというだけで、これを買った。私は家に帰ってさっそくCDを聞き始めた。なんとなく、歌詞のさびの部分がどこかで聞いたようなものだったので、さっそく歌詞カードを開いてみるとなんと、それは彼が私に聞いてきた曲だったのだ。その時初めてこれがmenina do Rioではなくmenino do Rioだとわかった。そして、その曲の意味も。それを読み終えた時、私の瞳には涙が溢れていた。"なぜなら君を見ると、君の欲望が欲しくなる、いきあたりばったりに行く少年、鳥肌の立つような暑さの中、この歌を君へ、キスのかわりに…"

彼がどんな気持ちで私にこの曲を知っているかと聞いてきたかはわからない。しかし、もし彼がこの曲の詩を知っていたのなら、なぜ私に尋ねてきたかはなんとなくわかるきがする。なぜならば、彼がその曲を私に送ってきたとき私も同じ気持ちだったからだ。"永久に恋する心を抱いて、いきあたりばったりに行く少年…"そう、私は彼にロンドンで会ったのだ。まさしく、いきあたりばったりに行く少年だった。ロンドンは私にとっては人生の中間地点だ、つまり、そこが私のとどまる場所ではなかったということだ。だから、ロンドン滞在が終わろうとしていたあの時、私はとまることなく先に進みつづければならなかったのだ。私は正直言って、これほど彼が恋しくなるとは思いもしなかった。もともと、こういうことは苦手だった。自分を全てさらけ出すなんて恥ずかしいとすら思っていた。しかし、このbabaca2人の前では私は裸も同然だった。私が知ることのなかったもうひとつの私を彼等は引き出したのだ。

私は彼の前でよく欲しいものがなかなか手に入らない子供のように泣きわめき、騒いだ。彼を理解するのは難しかった。というより、全てが初めてで私は何がなんだかわからなかった。好きという気持ちにさえ気づけなかった。彼と友達に戻ることを決めたとき、初めて私は彼を好きだったのだと気づいた。彼と別れたあと自然に頬をつたった涙が私に彼を好きだったのだと気づかせてくれたのだった。しかし、それに気づいたとき、私のロンドン滞在日数は1ヶ月をきっていた。

何がなんだかよくわからなかった。とにかく、彼に会いたくなかった。なぜならば、会えばきっと、もっと好きになるからだ。しかし、私達は友達である以上避けようがなく、ほぼ毎日のように会っていた。正直言って、会えるとうれしいが同時に淋しくも思った。私はそんな気持ちを味わったのは生まれて初めてだった。もし、私がもう少し長くロンドンにいたらなどと考えさえもした。しかし、だからといってどうにかなるような関係ではなった。彼は私に友達としていたいとはっきりいっていたからだ。手に入らなければなおさら欲しくなるのが人間の本能というかなんというか、私には無理だと思えば思うほど彼が欲しくてたまらなかった。しかし、欲しくなればなるほど、彼が引いていくのがわかった。まるで、くもの巣に引っかかったように身動きが取れなかった。好きだけど、会いたいけど、大嫌いで会いたくもなかった。でも、やっぱり会いたかった。彼は私が最初に自分をさらけ出せた人だった。恥もなにもなかった。自然にそう振舞えることができたのだ。

彼が何を考えていたのかあの時の私にはわからなかった。私のことを好きだったのかもよくわからなかった。唯一わかったことは私が日本に戻ってきて彼を恋しかったように、彼もまた私を恋しかったということだった。私が思っていたほどではないかもしれないが、彼もまた私を恋しく思ってくれていた。それだけで、十分だった。渦の中にいたせいで、なにも見えていなかったのだった。ただ、自分の一方的な気持ちしか私には見えなかった。

時々今でも彼を恋しいのかと思うことがある。しかしよく考えてみると彼自身を恋しいというよりは、彼や友人たちと過ごしたあの日々が懐かしく、そして恋しいのではないか思う。そう思えることで彼は私の中でまた友達の位置に戻っていったのだ。今はただあの戻ることのない日々へのsaudadeの思いでいっぱいだ。