Querida uma brasileira(親愛なる一人のブラジル人女性へ)


私がイギリスに留学していたときのことだった。まさか、イギリスであんなにたくさんのブラジル人にであるとは思ってもいなかった。今思えば運命的というか、彼らに会うためにイギリスに行ったよう気がする。私の周りにはいつもブラジル人がいたような気がする。その中でも特別だったのが彼女だった。

私は意味もなくロンドンに憧れを抱いていた。初めて訪れたのはたしか、16歳のときだった。高校生だった私は学校でほぼ強制的に1ヶ月とちょっとロンドン郊外にホームスティをした。初めての海外生活で私はもう楽しくて楽しくてしょうがなかった。帰りたくなくて、ロンドンを後にした時は淋しくてたまらなかったが、また来るぞという気持ちでいっぱいだった。その後何回かロンドンには滞在したがそのたびにここに住みたいと思う気持ちは募るばかりだった。

そして、とうとう23歳の夏、私はロンドンにむかって出発した。まあ、私も人並みに期待と不安の両方の気持ちを抱え成田空港をあとにした。正直言って一人は初めてだったから、淋しかったが、淋しさ以上に私はわけのわからないプラスの気持ちで胸が膨らんでいた。

しかし、お決まりどうりというか、やはり旅行と住むのとでは大きな違いがあった。私はだんだんとロンドンのマイナスの面がみえはじた。特に天候と物価の高さは本当につらかった。日照時間が少ないというのがここまで人間を変えるのかと思うくらい私は憂鬱でたまらなかった。

元気だけがとりえの私の顔が次第に白くなって、病人のようになっていくことが私には絶えがたかった。もう、何でロンドンなんかに来てしまったんだ!っと本気で思ったくらいだった。

そんなときだ、私はひとりのブラジル人女性に出会った。彼女は私と同じ語学学校で勉強していた。今思えばふとしたきっかけで知り合った彼女が私の人生において大切が人になろうとはその時思ってもいなかった。

私たちは一緒にいた。休みの日も観光客のようにロンドンの街を散策した。寒さにも負けず私たちは映画に行ったり食事に行ったりと。特に私が好きだった時間は彼女とのお喋りの時間だ。カフェで学校で、いろいろなところで私たちは話をした。私たちは一緒に住むようになった。

私たちの家のリビング、台所、寝室はカフェとなり、いつも私たちは話が絶えなかった。彼女と私は昔から知っているかのように物事の価値観やとらえかたについてよく似ていた。心から一緒に笑うことができ、人生において起きる様々な出来事に対応する方法、人間としての本当の幸せについてなどなど。

そして、特に、おかしかった話題は彼女いわくブラジル人の女性は喜怒哀楽が激しく人前だろうがどこだろうが泣くということだった。正直言って私はこの人前で“泣く”ということに少し抵抗があった。とくに、友達の前で私は泣くことに対してすごい抵抗があった。彼女に会う前までは日本人の友人の前で泣いたことは映画を見ていた時くらいしかないような気がする。

なぜだろう、いつも明るくふるまい、辛いことがあってもそれを口にはせず、心の中にしまっていたような気がする。だからよく人は私に「悩み事がなさそうでいいよな〜」とか「人生おまえみたいに生きれればな〜」などという言葉を聞くとなんだかどうしてこの人は私のことをそういう風にしか見れないのだろうとちょっと悲しかった。

たぶん人に自分の弱みを見せたくなかったのかもしれないのだろうか。そのためにいつも友達の前でも鎧をとることなく付き合ってきていたのかもしれないということに気づいた。泣くことがどうしてもマイナスのことのように思えてしかたのなかった私はいつもいつも、ぐっと我慢してきた。きっとどれだけ体に悪いことだったかと今思えば、体にかわいそうなことをしていたなと思う。

それに気がついたのはわたしがある日、ちょっとしたことがあって、家に帰る途中とりとめもなく涙があふれてとまらなかったことがあった時だった。私は家に入る前に涙を止め、泣き顔をどうにかしないとと考えながらエレベータにのった。わたしは彼女と一緒の部屋で寝ていたから、そっと部屋に入ってみると電気だけついていて、彼女はいなかった。ちょっとほっとした。しかし彼女はトイレに行っていただけだった。「お帰り、映画どうだった?」が彼女の一声で私は初めて人前で映画のことではなく、自分自身に起きた辛いことで涙が溢れ出した。あたかも温泉を掘り当てて勢いよくお湯が出てくるように私の体から涙が湧き出してきた。

びっくりした表情で彼女は私に涙が流れている理由を聞いてこういった。「泣きたいときは泣くのが一番。我慢することなく、体が泣くことを必要としているときは頭で考えることはやめて、体の思うようにさせてあげなさい」と。私はこのあたりまえのことに彼女に会うまでの24年間気づくことができなかった。

頭で考えてというのは恥ずかしいとかそういった気持ちを無視してということだったのかもしれない。そして、彼女はわたしにブラジル人の女性は何かにつけてすぐ泣くんだからとつけたした。これは後でわかったが事実だった。というのは、私の友人で結婚していたブラジル人のカップルがいた。

彼女の誕生日に彼はブラジルへの往復航空券をプレゼントした。たった3週間かえるだけなのに、彼女は一生の別れのように泣いていた。駅でも列車の中でも泣き止まず泣いていた。

日本人のカップルではちょっと想像はつかないような気がする。単身赴任の観念が彼等に理解できないのは当たり前のことだとこのとき痛感した。

ジャーナリストでロンドンでフリーとして仕事が軌道に乗りだしていた彼と、その彼についてロンドンにいるもののブラジルに帰りたい彼女というカップルがいた。英語を勉強するという理由もあったが、彼と離れたくないのでロンドンにはいたいというほうが正直な理由だったと思う。彼女はロンドンにいるうちはまともな職につけることもなく、きっと彼女の間でいろいろな葛藤が生じてきていたと思う。わたしも、正直に彼女が持っている力を彼のためにロンドンにいて埋もれさせるのはもったいないといったことがある。彼女もその辺のことは十分理解していた。そこで、たいていの日本人のカップルなら遠距離恋愛ということを選ぶだろう。それが妥当な解決策だからだ。

しかし、彼女のあたまに遠距離恋愛という5文字は存在していなかった。彼女にとってブラジルに帰ることは彼との別れを意味し、そして彼とロンドンに残ることは自分のやりたいことをどんどん遠ざけていくことを意味した。彼女はまじめな顔で、もうそのことを考えると毎日泣いてばかりだといっていた。それを見て彼は何とかなるから泣かないでと、とまどいながらなだめているというのだからまったく不思議なことだ。わたしなら、そんなに彼を愛しているなら遠距離でも耐えられるような気がするのだがと思うが。

ところで、親からしかられるとき「人前で大声出して泣いて、恥ずかしいと思わないの、あなたは!」なんて言われてしかられたことがあるだろう。三つ子魂百までではないが、なんとなく、こんな風にいわれてしかられつづけたら、人前で泣くということがマイナスのイメージになってくるのは当然のことのように思える。

しかし、泣くということは笑うということと同じで体と心が自然にあらわす表現のひとつなのだ。なぜ、笑うことはよくて、泣くことはいけないのかと考えたとき、そのほうが変だということに私は気づいた。もっと、自分気持ちを表に出していかなければと思った。そうでなければどんな些細なことも相手に気持ちが伝わるわけがないと。鎧をきて友達と付き合っていたら、どうしてあの人は私のことがわからないんだろうと思うほうが絶対におかしいのだと。

以心伝心という言葉が日本語にはあるが、はっきりいって、おかしいと思う。言葉に出さずしていったい何が相手に伝わるのだろうと。もちろん、そういう瞬間(以心伝心の瞬間)も存在しているとは思うが、まったくこれは一方的なもののように思える。勝手に自分だけが相手に伝わったとか、どうして俺の言うことがあいつには伝わらないんだとかという。

この、自分を表に出さないのは日本人独特のものだと思う。波風を立てないように、自分の主張をあまりせず、言いたいことを濁す。必要以上に波風を立てる必要はないが、時には自分の思っていることを口にださないと相手に伝わらないことだってあると思う。

彼女と出会ってから私は泣き虫になったような気がする。何かにつけて、泣いているような気がする。泣くことが恥ずかしいことではないのだと教えてくれたのは彼女だった。泣いたあと、つまり自分を解放してあげたあと、私はとても気持ちがいい。辛いことがあって泣いて気持ちがいいというのも変な言い方だが、実際そうなのだ。彼女に出会ってから、私は私の体が喜んでいる声がきこえる。

いままで、私はこのもうひとつの体の声をそとに出してあげることをしていなかった。だから、私は私の体が辛い思いをしているのに気づかなかった。それを教えてくれたのは彼女だった。彼女に出会えて人前で泣くことが恥ずかしいことではなく、すばらしいことなのだということがわかった。それは、泣くことのできる相手がいるということつまり、鎧をきることなく自然に付き合っていける友人がいるということのすばらしさに私は気づいたのだ。

私は彼女に出会えて本当に幸せだった。ロンドンに行ったのはきっと彼女に出会うためだったのだろうと私は今でも思っている。彼女と過ごした時間が私にとっては今までの人生において最高の時だったと思う。彼女が住むブラジルは日本とはまったく反対側に位置していて、飛行機で24時間もかかる。そして、地理的に反対側に位置しているだけでなく、その性格においてもまったく正反対だと思う。しかし、不思議なことにブラジルには世界で最大の日系社会があるのだ。なんとも、不思議な縁でつながっている二つの国だと私は最近よく思うようになった。彼女が住むブラジル、そして彼女を育んだブラジルに今私は恋をしている。今度電話があったらそのことを彼女に伝えよう。